カッパドキアは美しい馬の土地という意味なのか?

馬の作り話

 

 

妖精の煙突や熱気球でトルコ中央部にあるカッパドキアは世界中で名高い観光地だが、カッパドキアという名前の由来は著名なトルコ人の写真家がクレームを主張したようにいまだに議論がなされている。

 

 

2015年8月号の「#tarih」誌に執筆しているが、写真家であり研究者でもあるオザン・サウドゥチュ氏は、カッパドキアとは美しい馬の土地を意味するのではないと提案したのだが、1980年のトルコでのクーデター政権の怒りをかわすためにこの名前を付けざるを得なかったのだという。

 

 

しかし、「Cappadocia」という言葉は、ダリウス王(522-486 BC)の時代にペルシャで建立された碑文の中で古代ペルシャ語、アッカド語、エラム語で初めて使われており、この歴史的地域の名前の意味するところについての学術的な意見の一致は見られていないのだ。

 

 

古代の碑文の中に見られる馬とこの地域を関連づける人もいるが、カッパドキアに住んでいた昔の人はペルシャ王に贈呈品や税金として馬を送ったという。

 

 

しかし、カッパドキアの語源の説明で最もより広範囲で受け入れられているのは、この地域で信仰された主要な神であり、フルリ人の母神である「Khepat」と関連付ける説である。

 

トルコ人研究家のビルゲ・ウマール氏は、カッパドキアの最も古い表現は、「Ketpatukh」であり、「Khepatの人々の国」の可能性があると話す。

 

 

名前の由来についての他の歴史の観点からの提案としては、大プリニウスの説のように、「Cappadox」という名の小川と関連付けるもので、この名はアッシリア王ニヌスの息子から来ている。

 

 

それでは、いったいどうして多くのトルコの旅行ガイドがカッパドキアについて毎年何百万人もの観光客に、美しい馬の土地だと伝えているのか?

DHA Photo

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強制的な嘘

 

 

「これは強制的な嘘なのです。」とサウドゥチュ氏は(雑誌に)書いたが、彼はカッパドキアの火山の景観と長い歴史を資料にすることに彼の生涯の多くを捧げている。

 

1985年に、トルコの写真家はユネスコの総会でカッパドキアについてのプレゼンを行ったが、それにより世界遺産リストにこの地域が含まれたのだ。

 

カッパドキアを宣伝する彼の努力に対して、ユルギュップ自治体はサウドゥチュ氏を表彰し、通りの名前に彼の名を付けたのだ。

 

 

サウドゥチュ氏によると「馬の作り話」は1981年の春までさかのぼり、トルコで1980年にクーデターが起きた数か月後のことで、その時彼は初めてカッパドキアについてのショーを高級軍人に開いたという。

 

 

トルコの観光庁は観光シーズンを迎えるにあたりその年カッパドキアで豪華な式典を開催することを決めたが、その式典にはクーデターのリーダーであるケナン・エウレン将軍も参加する予定だった。

 

 

興味深いイベントを開催するため、観光庁の高官たちは、サウドゥチュ氏に連絡したが、彼はカッパドキアについての情報発信に努めていたがそれまでは一般にはほとんど無視されていたのだった。

 

 

「私はトルコ国内にカッパドキアの興味深い風景を宣伝するための適切な出版物がないことに気づきました。私の目的はりぃこうガイドにもなり得るアルバムを作成することでした。」とサウドゥチュ氏は書いている。

 

 

観光庁の幹部が彼と接触したときに、サウドゥチュ氏はエウレン将軍が参加するイベントの間、ディアポラマ(diaporama)と呼ばれるスライドショーを行うことを提案した。

 

観光庁はそれを承諾し、サウドゥチュ氏の旅行ガイド計画を支援することを決めた。

Cihan Photo

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民族主義者の将校からの叱責

 

 

サウドゥチュ氏の楽しみは関心が得られたが、彼に友人の一人である、TRT(トルコ国営ラジオテレビ放送)のマネージャーが彼に告げたところでは、TRTが放映したドキュメンタリー番組に「Cappadocia」と言いう言葉が含まれていたことで軍事政権から叱責をされたという。

 

 

TRTのマネージャーであるセダート・オルセル氏はサウドゥチュ氏に、民族主義的な軍部関係者はその語源がギリシャ語であると推測して「Cappadocia」という言葉の使用を禁止したのだと話した。

 

 

「私はかつてギリシャ語が語源であるという資料を見たことがありませんでした。それどころか、”Cappadocia”の代わりに軍部関係者が使用を好んだ”Göreme”という言葉は実際にはギリシャ語が語源で”Korama”という言葉から来ているのです。」とサウドゥチュ氏は「#tarih」誌に書いている。

 

 

オルセル氏がサウドゥチュ氏の説明を聞いた時、彼は軍事政権の一部として当時国会議長の事務所を占拠していた司令官シュク・ビレンに電話をした。

 

 

「”Cappadocia”という言葉はギリシャ語ではありません。ここに友達がいますが、この件について彼は詳しく知っています。」とオルセル氏はビレン将軍に話し、将軍はその後で「Cappadocia」という言葉は何語からきているのかとたずねた。

権力を持つ将軍が電話で待っていると、サウドゥチュ氏は、「ペルシャ語だと思われます。」と話した。

 

この情報はオルセル氏から将軍に「ペルシャ語です。」と伝えられた。

 

 

サウドゥチュ氏によれば、将軍が「ペルシャ語でどういう意味になるのか?」とオルセル氏にたずねると、この地域のヒッタイトの歴史ではどうして馬が重要な役割を演じていたのかと少し考えた後で、サウドゥチュ氏は「美しい馬の土地という意味だと思われます。」と答えたという。

AA Photo (L)

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Cihan Photo (R)

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盗用により作り話が広まった

 

 

オルセル氏はサウドゥチュ氏の疑わしい回答を、再びはっきりと断定して将軍に伝えたが、これにより、写真家のカッパドキア計画は最終的に救われたのだ。

 

 

「ペルシャ人が"Katpatukya"と名付けましたが、ペルシャ語では美しい馬の土地を意味します。」

 

 

これはカッパドキアについてのトルコ語で書かれた初めての大規模な旅行ガイドの序文に書かれた最初の文章だが、初版の1冊はクーデターのリーダー、エウレン将軍に贈られた。

 

 

「私のカッパドキアの書籍は、この強制的な嘘を除いて、真摯な研究と音声データに基づいています。」サウドゥチュ氏は話し、盗用して拡散するという文化によって、馬の作り話が増殖され、ひどいことにとなったことを強調した。

 

 

「もし私が今カッパドキアを訪れ、”Cappadocia”と意味は私が決めたのですと話すとすれば、祖父母から昔話を聞いているのであなたの言うことは信じられないと人々は私に言うことでしょう。」

 

 

「伝説の中には見当違いの事件や、単なる話し言葉が起源となることもあります。うわさが起こり、数世代の年月を通じて事実として受け入れられ始めるのです。」

 

「こんなわけで私が急かされて決めた嘘が、不変の真理だと考える人もいるようになったのです。」

 

「しかし、”Cappadocia”は美しい馬の土地という説明に値しないのでしょうか?それは違います。事実として、スルタン葦地域では今日でさえ、捨てられた馬たちが走り回っているのです。」

 

「私はカッパドキアの人々がこのかっこいい形容詞を使い続けるべきだと思うのですが。ペルシャ人とは関係づけるべきではありません。そうすることは不名誉でもあるのです。」とサウドゥチュ氏は語った。

DHA Photo

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