忍耐、慈悲と寛容:海外居住者のラマダンの過ごし方

ラマダンガイド

 

 

水曜日の夜明けが来るとラマダンが始まりますが、ラマダンとは、1ヶ月間の日中の断食がイスラム教徒によって実践される、世界中のイスラム教徒最大の共通の礼拝様式なのです。
これは特別な時間であり、何百万人が精神を磨き、自己改善、自己献身を行う時なのです。

 

 

 忍耐と慈悲と寛容という3つの柱に身を捧げるラマダンはトルコでは幸運の時とされています。
私は十数回以上にわたりこの聖なる1ヶ月にここに来るという幸運な機会に恵まれましたが、そのためにトルコで経験豊富な海外居住者として外国人の仲間たちに私がガイドとして学んだことをお伝えしたいと思います。

 

 私は専門家ではありませんが、私が何度も何度もトルコ人の友達に話をされたこととしては、ラマダンは日中の断食であり水分も食料も摂取してはいけないのですが、トルコでは最も聖なる時間なのです。

 

 ラマダンはイスラム暦にも記載されていますが、ラマダン中に初めて預言者ムハンマドはコーランに出会ったのです。
このように断食を行うことは、トルコでは「Şeker Bayramı:砂糖祭り」の時に終わり、お祝いされますが、今年は7月17日です。言い換えると、明日6月18日は、同僚のトルコ人や世界中の多くのイスラム教徒にとって断食が始まりますが、自己の反省、自己の改善の時間としてとても神聖で崇高なのです。

 

 

ここトルコで何年にもわたり、正確には30年ですが、言われ続けている共通のテーマは、「merhamet:憐憫や慈悲」、「sabır:忍耐」、「tahammül:寛容」という言葉からきています。

 

 

「merhamet:憐憫や慈悲」という言葉については、祭日は人々にとって生活に必要なものとされており、ある意味ではあまり幸運でない人に捧げられるものなのです。
断食を通して、憐憫の情を感じるようになり、苦しみを味合わずに不憫な人々を思いやる見方を会得するのです。

 

「sabır:忍耐」という言葉はこの特別な断食で体験されますが、個人の過度な煩悩を取り去る機会であり、自己に打ち勝つことの例となるのです。

「oruç:断食」はあらゆる人が行うのではなく、心臓の弱い人や、病気の人、高齢の人、若い人、旅行中の人、妊婦やこのような努力を強いられることができない人には義務とはされず、あらゆるやり方で空腹の人と同じ体験をするという代替えの恒例の習慣なのです。

 

 

 1か月に及ぶ断食は日中の時間帯に行われ、日没には「iftar」と呼ばれるごちそうの晩餐と共に断食は終わります。
このごちそうの晩餐は大きな音を鳴らして始まりますが、国中の都市でその日の断食の終わりを告げるために文字通り大砲が放たれるのです。

 

 

 各家庭では一緒に断食を終了しようとしてあらゆる作業をやめて、テーブルいっぱいのごちそうを広げてみんなを迎え入れるのです。
この時間帯は誰も飢えを感じることはないのですが、国中の各自治体は断食後のごちそうを誰にでも提供する夕食会を催すからなのです。

 

 お店では特殊な組み合わせのケースが販売されますが、その箱には断食後のごちそうを入れる食器が入っているのですが、別の意味ではこれらは崇高な1か月の試みを耐え忍ぶためのある種の素晴らしい贈り物でもあるのです。

 

 

 およそ2時間の夕食の後には「Terawih」というお祈りの時間となりますが、それは「rakaat」というイスラムのお祈りを20回繰り返すことを含む特別な行事なのです。
これはイスラム教徒にとっては特別なお祈りだけではなく、早朝の聖なる行いによる健全な浄化の儀式という素晴らしい行いでもあるのです。

 

 そしてトルコではその数時間後には、「davulcular」というドラムを鳴らす儀式の時間がやって来ます。
もし、夜中に急にドラムを鳴らされ驚いた場合、慌ててはいけません、これは単に「Sahur」が始めることを告げているのですが、「Sahur」とは夜明け前の食事であり、断食が再開されるのです。
「Sahur」は人々が断食を耐えられるように多くの飲み物と健康的な食品を多く並べた朝食のような食事なのです。

 

 

「Sahur」は実際には健康的で体の浄化を行う儀式であり、特に夏場に食べられるのですが、当然のことながら断食を行う人が食べるのです。
ラマダンという言葉はアラビア語を起源としたものですが、「猛暑」や「乾き」という意味であり、過去数日間の天気が良くない場合、心にとどめていただきたいのですが、この特定のラマダン(断食)はとても厳しいものになるでしょう。

 

 ですので海外居住者としては、可能な限りできることが忍耐であり、この1ヶ月にゆっくりと過ぎる時間と消費されるエネルギーに対して慈悲深く耐え、寛容な心を持つことが必要なのです。
このような断食は他人の立場、正確には恵まれない人の立場に立つことなのですが、断食をしない人は断食を行っている人が非常に大変であることを知っておくべきであると助言します。

 

 断食することで人々はこの時期に完璧になろうとしていますが、断食に参加しない人がこの特別な月に何か貢献できるとすれば、彼らは断食している人と同じように人生が長く続くよう忍耐、慈悲、寛容をモットーとするべきなのです。

 

しかし、自己改善のために自己反省に熱意を注ぐことは、トルコでは当たり前のように特別なことなのだと理解してください。