映画「最後の手紙」:愛国心対愛国心

トルコ映画「最後の手紙」

 

 

率直に言おう:これまで最も多い資金援助となる総額175万リラに及ぶ多額の資金が文化観光庁の映画基金から作家でディレクターで、プロデューサーであるオズハン・エレンの新作映画「最後の手紙」投入されたのだが、第1次世界大戦のチャナッカレの戦いに対する真面目な愛国心的、映画的脚色がうまくいったことで無駄ではなかったのだ。

 

 

 これまで話題となったトルコ映画の中で、「最後の手紙」は制作する価値と節度あるイデオロギーの発揚という点においてラッセルクロウのトルコ共同制作映画「The Water Diviner:水占い師」とほとんど同等と言える。

 

それは人間の条件についての真実の啓蒙をもたらすという映画史の中で位置を占めるべき偉大な戦争映画なのだろうか?

 

 

 私はそうは思わないが、信用の元となるものを信じよう。国家の誇りと優位性への国民感情を集めることに話を向けるという映画の明確な意図にかかわらず、少なくとも映画「最後の手紙」は当時の敵対勢力に対して執念深く怨嗟する態度は示さずに最善を尽くしたと思う。

 

湾の外端に英国戦闘艦が座礁しているチャナッカレ半島にトルコの軍勢が招集されている間は第1次世界大戦は続いているのだ。

 

 映画に登場する下士官サリフ・エクレム(俳優タンセル・オンゲル)はパイロットでオスマン帝国軍唯一のプロペラ機を飛ばすように命ぜられた。
彼が迫りくる戦いに備えると、彼は基地の全員から歓迎される。

 

 同時期に志願看護婦ニハール(新星女優ネスリン・ジャワドゥザーデ:彼女はクトゥルーウ・アタマン監督の映画「Kuzu:子羊」で素晴らしい演技を見せた。)が基地の病院で勤務するために到着する。

 

 二人の間でロマンチックな緊迫した状況が展開されるが、お互いの愛情の高まりに反して、彼らの愛国心を強調することを意図した演出により、二人の行為はすべて純粋で無邪気なのだ。

 

 それはこの映画のワナで現実的で興味深い感情に話が向かわないようになっているのだ。
見方によっては完全に敵対する映画なのだが、私はイギリスの負傷者を救えないが彼らのことを思い返り、飾り気のない身近な人への愛情が国家や国境の壮大なイデオロギーを凌駕するのだ。

 

 

 エクラムとニハールがゆっくりとお互いの無垢な愛情をはぐくむ時、チャナッカレの戦いは本格的に開始され、映画は領土獲得を目的とした軍事戦略面ばかりを強調する。

 

 いくつかの戦略は巧妙で自分たちの義務の重要性に気付いている将兵により冴えのある策略が演じられるが、皆家にも帰れず、家族に会うこともできないのだった。

 

 劇中で2人の兵士が登場するが、双方とも子供が生まれたという連絡を受け取るが戦争で負傷する。
相次ぐ戦いのシーンはうまく撮影されているが、これは特に撮影監督ウグール・イチュバクのカメラを有機的に操作してエクレムの小さな飛行機の動作を巧妙に捉えた結果によっている。

 

 制作価値が非常に高い映画でこれらのいくつものアクションシーンには説得力があるのだ。
若い観衆に不快感を与えないよう流血シーンは最小限に抑えられている。映画の最後でサリフ・エクレムとニハールの関係は深まりメロドラマ風の演出となるが同時にパイロットが看護婦に託した重要な手紙に着目すると息の詰まるような悲しさも演出されている。

 

 後年この手紙は個人的にも愛国的にもより重要性を帯びるのだが、引き続きおこる悲しいシーンは少しこじつけがましいが映画としての適性を保持しようと努力し釣り合いが保たれている。

 

それでもなお、「最後の手紙」は戦争映画ジャンルの中でより良い作品のひとつであり、観衆に主戦論を強いる映画ではないのだ。

 

これは見るに値する映画なのだ。

 

 

参照元メディア:www.todayszaman.com 
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